dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

六は何だろうか。

昨日のウルトラスーパームーンなまんまるお月さま。

写真を撮ると六角形。

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テレビで見た亀岡の水晶廉が気になる。昨日、同僚が買ってきてくれたお水は、玉ノ井郷の一角「水晶山」が水源。

金山の岩間を通って澄み切った水。


水晶を調べると六角柱とある。

6もかなり気になるワード。
六角で検索すると六角堂…笑!


私、たぶん巡礼とか修行とか、すんなり入れちゃう。
けど、今世に生まれてきたのは、一見すると俗っぽいことを身体があるから故に出来ることを体験、経験するために生まれてきたんだ。
だから、そこを通ると、その先がある。

チューニングを合わせるイメージを。
(実は忘れているだけで知っていて出来ることだから、感覚でやってみる)

いろんなところで明治天皇が…かなりキーワードだなあ。

十六宵
(いざよい)

(友人が見てきて良かったと、オススメされた。)

衆生(命あるもの全て)

代官山unite手前にあったお店の名前は六角亭ですってよ笑!
ご飯屋さんだったけど。

闇が深いほどに夜明けは近い

誰かから何気なくポーンと投げ込まれた軽やかなボールを条件反射的に投げ返したから分かること。
問いを投げかけてもらったから分かることがある。
私は、やっぱり働くことも好き。
しかも、いろいろあっても今の職場で働くことも好き。
それは、遊ぶように働いているってこともあるからね。
初めて仕事をしてから少しづつだけど何かに近づいている。
もっと近くに。
そして、もっと深くに。
さらに遠くへ。
それすら、全ては私に還りたいからなんだろうな。

いちにちすぎて

生きていて

地上に立っていて

夜空を見上げているから

こそ見える景色。


そして、それが見たくて
私は地球に生まれた
身体を持った

私は世界を愛している
私は地球に生きている
私が愛する世界は
私を愛する世界だ



神さま〜
私、生まれてきて良かった、幸せでーす!



不要なものは流れていきました。
もう、安心して良いのです。
あなたは生きている世界に愛を贈ること。



途中、金木犀っぽい匂いが漂ってきた。

愛を贈ろう

今日も今日とて、神さま方のところへ。
ウルトラスーパームーンな満月であるところの今日。
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参拝したこちらは相模国一宮、寒川神社さんでござーる。
当初、境内に着いたときは七五三のご家族連れでものすごーーーく賑わっていた。
しかも人力車で境内に入っていくサービスがあるらしく、そんな場面にも出会えるというレア感が満載な始まり。
寒川神社さんの場合、賑わっているのに雰囲気そのものは落ち着いている。
しばらくすると雨が降ってきたため皆さまが一斉に境内から離れたので、写真を撮るころは物静かな雰囲気に。

最初のご挨拶をした後は、しばらく境内にて神さま方に愛を贈る気持ちで佇む。

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今年は秋が足音を立てずにそっとやってきては去ろうとしている。
そんな中でも鮮やかな紅葉。

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末社の宮山神社でもご挨拶。
ここもすっきりとしていて、落ち着いて居られるところ。
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(なんか勝手に龍神の爪痕みたい!とテンションが上がった私。)

後ろ髪を引かれながら、帰ろうとしたときに出会ってしまった。
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大好きな気持ちが溢れる。
そんな満月、ウルトラスーパームーンの一日。
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帰り道に出会った空も素敵だった。

満月の輪

満月手前。
お月さまの周りに雲の輪っか。
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満ちて満ちて輪となり
すべてが繋がっている

すべては、統べて

すべてのわたしが
ひかりでありかげ
かげでありひかり

かげだと嘆いていたことが
ひかりだったんだと気づく
ひかりを見つけるためには
かげを見ることが必要だと

かつて大いなるひとつだったときは
知っていたことを身体で味わうため
わたしは忘れてしまったのだけれど

すべてのいままでがあったから
味わうことができたんだという
つよがりではなく内側から感じ
放てるようになるまでもう少し

なれることは決まったのだから
安心して遊び続けていていいよ


いま、このとき、この世界に

自分を生きると
自分と調和する

私と調和した私は
自らの内側にある

真ん中で光り輝く私が
私の世界を照らし出す

光り輝く私に照らし出された世界は
ど真ん中にある私が望んでいたもの



ある人のブログを読んでいて、とても羨ましいと感じたこと。
それは人と関わる姿を見て感じた気持ち。
たぶん今世で人と関わりたいと思ったんだな、わたし。
人と離れていても、それなりに楽しく生きれてしまうから人と関わらなかったけど。
いま選んでいる仕事も人と関わる仕事。
だから、やっぱり自分であり自分ではない誰かという存在を感じたくて生まれたんだろうな。
大いなるひとつのままだと味わえない気持ち。
わたしが隠してしまったわたしを見つけたい。
たくさん着込んだものは着込む必要が無かったことを知ったよ。
そして、それを教えてくれたのは、紛れもなく、大いなる世界ではひとつの存在だった、わたしではない誰かだ。


そしてなぜか

大國魂神社の松尾社にて。
ぼんやり、ぼーっと佇んでいたとき。
脳内で自動演奏される「Oh Happy Day」
思わず気になって検索さ。
賛美歌が元で有名な映画の劇中歌だから、いろんな文献がある。
今回は全体的な意味でポイントをメッセージとして受け取ってみますた。

Oh, happy day
なんて幸せな日でしょう
When Jesus washed
神さまが洗い流してくれた
He washed my sins away
神さまが私の穢れを洗い流してくれた
Oh, happy day
なんて幸せな日なの

And live rejoicing day
そして生きる、喜びの日々を
Free day,every day
自由な日々を、毎日を

…!
わーい!
神さま方、ありがちう!
もー!
なんと言っても喜びと自由が最高に良い。
大好きだ、大好物ですたい。
楽しんで生きよう、喜んで生きよう。

あたーらしーいあーさがきた(後篇)

さて前篇の続きです。

 
道すがら、ふと調べてみたら大國魂神社武蔵国府の総社であり、酉の市も立つのであった…そうか、総社と酉の市というイメージは合ってたんだなあ。
 
酉の市と言えば、むかし働いていたときに共に仕事をしていた長老的な人と一緒に浅草で行われていた酉の市に行ったのが初めての酉の市。
この長老的な人は後々の私にとっても示唆的な存在で、私にとって産土神社(その頃は産土神社とは知らなかったけど)の名前を正しく教えてくれた方だった。
あとは、2014年のときは酉の市が行われた次の日が11月11日だったことなど、色んなことをぼんやりと思い出しながら向かったのだった。
 
やはり、たくさんの人たちで賑わっているものの、小雨降る中だったためかお祭りの日にしてはそんなに息苦しくなかった。
11時11分というマイルストーン的な時刻が気になりつつも、ぶらぶらと気になるところにご挨拶周りに。
ああ、そろそろかなあ、という頃に然るべき場所で自然に愛に満ちた祈りを捧げることが出来たのだ。
それは、とても嬉しい一致だった。
 
それにしても今日はどうしても摂社が気になって頭から離れなかった。
主だったところにご挨拶した後、お昼を食べてから主たる境内から離れたところにある摂社を周ることに。
 
金比羅神社からお地蔵さま、小さなお稲荷さん、日吉神社、天神社、もう一つの小さなお稲荷さん、再び大國魂神社
これだけでも、小雨降る中たくさん歩いたので(全然へっちゃら、かつ歩くのって好みなんですがね、それでも)もう良いかなあ、と表層の自意識は思うのに深いところにいる自意識がもう一つ参拝しようと言うので、瀧神社を巡り、その戻る道すがらに武蔵国八幡宮を見つけて三たび大國魂神社へ。
 
途中には、まだブログでは書いていないうちに参拝した時にご縁がありまくりな猿田彦大神の匂い漂う庚申塔にも出会い。
(…と言うか、大國魂神社の参道に最初にいらっしゃるはアメノウズメさまですわねー、あはは笑)
 
よく歩いたところは日吉町…笑
神さま方って、ほんと粋ですこと!
東京でも猿田彦大神さまにご挨拶に行かねばね。
 
今日、大國魂神社で参拝していて一番ほっこりしたのは松尾社。
ちなみにここにいらっしゃるのは大山咋神さま。
そして大山咋神さまで思い浮かぶは赤坂日枝神社
こちらの摂社には猿田彦大神さま。
はーい、参拝に行きまーす。
 
と、こんな感じで神さま方にご挨拶したり神社巡りが続いてゆくのであり、それは大変に幸せなのであります。
 
私は神社と神さま方が大好きよー!!!
と自己世界の中心で愛を叫ぶのだ!!!