百六年の庭で共鳴する
雨の京都。
雨は水が共鳴している音がする。
降っているだけなら音は聞こえない。
さまざまな世界に触れると音がする。
雨が上がると空がよく見える。
雨が上がると空気がすうっとする。
すうっとした空気を身体の中に通す。
日々の中で心に触れて蓄積されてゆく言葉にならない何か。
触れた瞬間に伝わる何か。
夜明けや夕暮れ、雨上がりの空に出会って感じる何か。
それらを人は喜びや哀しみ、せつなさなどと表現する。
でも言葉にした瞬間に感じた何かが分類されてしまう。
思っていたよりも網目の大きい篩にかけられて、掬い上げたかったものまで落ちてしまうように。
すると感情が限定されて一つの色になってしまう。
でも、本当はいろんな色が混じった複雑な色を感じているのに。
夜明けに触れたとき待ち望んでいれば喜び。
まだ夜の中にいたいときは淋しさ。
ただただ圧倒的な自然に対する畏敬の念が胸に去来することもある。
でも、喜びの中にも待ち望んでいた始まりが始まる一抹の不安が混じっていたり、淋しさの中にも終止符を打つことが出来た安堵の思いが湧き出てくる。
畏敬を感じる時は存在が大きすぎて怖い気持ちと自分という輪郭が無くなってしまうことがある。
私にとって身体や心に響くさまざまな色の音を表現しているのが音楽。
人が楽器や声を通して、その人自身まるっと全てで響かせているもの。
それら全てが私に伝わり響く。
私が大好きな音楽を奏でる空中ループ。
私にとって彼らの音楽は空間が震えて耳に届き身体を通り私全部に響いている。
特に響いているのがライブの時だ。
季節が放つ空気や温度。
さまざまな空間が湛える積み重ねてきた場の潜在能力。
響かせるために最善の状態に空間を整えてゆくこと。
それら全ての特性を活かして紡ぐ音色。
彼らが開いたLOOP ECHOは2014年という時間をかけて、さまざまな世界に触れて共鳴していた。
冬の夕暮れ、春の夜空、夏の花火、秋の灯火。
そして、最後を飾ったのは百六年の庭。
百六年の庭は夢幻のような世界に連れていってくれた。
タイムマシンみたいだった。
いまはいつなのか不思議な時間軸の中で奏でられる音は全ての私に響いていた。
タイムマシンに乗る前は、2015年3月1日雨足が強くなった夕暮れの世界。
時空の旅から帰ってきたら雨の気配はすうっとした空気と水たまりにしかなく、見上げると澄んだ夜空に瞬く星と満月に向かう月が私に微笑んでいた。
一言で表現できない何かが私に響き続けている。
終わりは新しい始まりに続いて連なっていく。
また次の新しい時を終わりの淋しさと共に楽しみに待っている。