dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

太陽と月の分水嶺

春分になりました。
まごうことなき春です。

f:id:sucre-miel:20150321165827j:plain

春はちょっぴりあわあわしてしまう。
大体、人の流れや動きに変化があるからだと思う。
目に見えて変化していない自分自身に何だかもやもやとしたものを感じてしまうんだ。
進めていないような、変化したいような、でも動けないような。
それは決断する、ということは大きな川を渡るかのように思えて立ちすくんでしまうから。

だけど、小さな川をいくつも渡り、小さな丘を少し降りたり登ったりしているうちにすごく遠く景色が変わってしまうこともある。
はたまた、自分自身が動いていなくても、原っぱにビルが建ったり草木が咲いたり実ったりするだけでも景色は変わる。

それは動くことも動かずに周りを変えることも同じということなのかもしれない。

f:id:sucre-miel:20150321165848j:plain

ならば、決断し選択したい。
動くことも、その場にいることも。
たぶん変化することに対して焦っているのではなく、決断し選択をしないことを無意識に選んでしまっている自分自身にもやもやしているだけなのだから。

f:id:sucre-miel:20150321165901j:plain