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dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

願いごとは叶ったか

願いごと叶ったといえば叶ったような夜。
これは午前中*さてさて - dawn,light*の願いごとのことで。

私ってば結局のところ単純。
大好きな神社に行って、そこにある全てを身体ごとまるっと味わう。
すると、いとも簡単にゆるんでしまう。
ああ!この世は何て素晴らしいんでしょう!と、世界の美しさに嬉しくて幸せになってしまう。

今回のことは実際に願いごとが叶ったかどうか、ということよりも、それに付随して心の中身を書き出したことに実りを味わっているところ。

自分の内側を外に出して見ることで自覚してしまうと、いろいろすとんとして、まだ多少の悶絶ちうですが、すっきりした気持ちでいられる。
何らかの形であれ、ひとまず内側から外側に出して見る。
内側にある何かの形をあらゆる角度から見れるように外側に出す。
すると、内側で感じていたよりも外側で感じる方がずっと好ましいものだった。
なんだ、こんなにいいものだったんだな、って。

今回のことで願いごとは瞬間瞬間に叶っていることを改めて実感した。
あとは変化していくことを味わいながら、その瞬間瞬間が増えていったらいいなあ、という新たな願いごとが形を成した。

そして、自分の中にある愛の形を改めて見ることになった。
もちろん相手という存在(対象)があるからこそ感じることが出来るんだけど。
私にとっては《存在そのもの》がある、ということだけで充分に愛せてしまうみたい。
もちろん煩悩あふれる一人の人間ですから存在の発する何かを受け取っているから愛しているのでしょう。
そして愛する相手から愛されたら、とーーっても幸せで嬉しいし、愛する相手に選ばれなかったら、しょんぼりな悲しみを感じる。
まだ恋は分からなくて、それは私にとっては愛することの方が簡単だから。
私にとっての愛を世の中で言われる恋という形に捏ねくりまわして見ようとして、無理をしていたのか。

私にとって愛するということを現す歌は、きっと愛する人が変わっても変わらないのだろうな。
心の奥深く、直霊は《世界は素晴らしい》と揺るぎなく理解してしまっているのでしょう。
叶わぬ恋は舞い散る桜のようなのでしょう。
そして恋の目的は叶うことにはない。
あの、ふわりと漂う薄桃色の世界を思い出すだけで、あたたかく心に灯る何か。
それを味わいたくて、いつか辿り着きたい桃源郷のようなものなのでしょう。
そして私の人生を現す歌では冒頭から箱入り娘と歌われてるあたりも、まんますぎて面白かった。
笑ってるし。
あんな風に私の意識の及ばぬところで愛する人の中で頬を染めて咲き誇り春を告げる。
愛する人の世界を染めてゆくことが出来るなら、それはとても嬉しく幸せなこと。
改めて歌に耳を傾けたら、そうあれたら嬉しいな、と思える歌だった。

願いごとは遠くからやってきたわけでななく、すぐそこに在り続けていることを思い出すことが出来た、という意味で叶っている。

世界の素晴らしさにも触れ、そんなことをつらつらと綴る夜。

幸せ。