全ては必ず過ぎる
ふと、いつもの帰り道を少し変えてみた。
その道の途中に目に飛び込んできた言葉。
all things must pass
それは、今日ふいに意識し直した取り組みたいテーマに繋がっている。
《いまにいる》
明後日や明々後日はたまた昨日や10年前に意識をあっと言う間に飛ばすことが得意過ぎるくらい得意な私。
いま学んでいることもイマココに集中しないと学びそのものが成立しない。
全ては過ぎ去って行く
それは希望でもあり悲しみでもある。
全てには両方の側面があるものだ。
仕事のことが凄く辛かったこともあった。
いまとなれば仕事とは良い関係性に変化し続けている。
そして、その後には面白いことに出会った。
出会った面白いことは続いているが、また関係性が変わる時が来ている。
それは、いまは辛いことでも、変化の先に良い関係性があるのだと思う。
そして全ては目の前に流れる川面のように流れ続け変わり続ける。
見た目には変わらないように見える川面の水。
私の目の前を流れる水はひとつとして同じ水ではない。
いいこともわるいことも平等に流れてゆく。
そして変わり続けるからこそ自ら積極的に目の前に流れてくる新しい変化に意識を向けて自ら気付くことが変化を楽しめるのだろう。
いま
ここに
いきる私を
私が味わわなくてどうするのだ。
私だから味わえるものをその瞬間にぎゅぎゅっと味わわなくてどうするのだろう。
すぐには出来なくても意図して取り組み続けよう。
過ぎ去り流れ行く目の前にはないものを見るのではなく、いまをつねに。
いま私の身体が反応した私の感情は、いま味わってしまえば流れ行くものなのだから。
味わうのは今だけ。
感情をドライフルーツやするめにしないのよーう。
それは後で味わっても生の感情とは違う味しかしないのよーう。
…わたしの意識はいまここにいるかな?