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dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

ずっと靄りとするもの

先日、知り合いのイベントに参加して、ああ私が生きたい世界とは違うなあ、とくっきりとした何かを感じてしまった。

知り合いは良い人で友達になれたら良いなあと思う。
けど根本的に相手に対して私が感じる違和感が全く拭えることがない。
そして、その違和感とやらは相手に伝えることも出来ない。
と、なると腹に一物すぎて、どうにもこうにも今以上に仲良くなれる要素が見つからない。
まあ向こうもそう思っているだろう。
それだけなら、いいのだけど。

ただこの件が、私の心に靄りとするものをもたらし続けているのには理由がある。
私がとても好ましいと感じる人は知り合いととても仲が良いのだ。
これは違和感を感じているのは自分の感覚がおかしいからなのかもしれない。
ならば自分が歩み寄れば良いのだと言い聞かせていた節もある。

でも、この違和感は拭えない。
というか靄りとする感覚が増してゆくばかりなのだ。

そうこうしている間に、つらつらと考えていたことが堰を切ったように流れ出てきた。

私は自ら拒絶することを選んだ世界に選ばれなかったことを知り悲しいのかも。
いつも私はどの輪の中にもいない。
それは輪の中にいることを拒絶したから。
いや、どの輪の中からも選ばれないならばと自ら拒絶を先に選んだのかも。
いや、ただ私が輪から選ばれるのを待つのではなく輪を選ぶことを決めればいいだけなのかも。

でも、常に心の片隅には人は結局は孤独であることはどうあっても変わらぬのだという思いも拭えないのだ。

もしかしなくても、人は皆、どの輪の中を選んでも、そして選ばれても、孤独であることは変わらないと知っても尚、選んだり選ばれたりしているのだろうか。

いつか、選んでくれる輪の中があると、信じていたいけど。
でも、いつか私を選んでくれた輪の中は私が生きたいところなのだろうか。

だとしたら私は自らが生きたいところが刻一刻と変わろうとも生きたいところへ行き、生き続けていくことしか出来ないのだと思う。

たとえ、どの輪の中に入ることが出来ないままだとしても。

いつか、この世界のどこかが、誰かの世界とほんの少しでも重なるときがやってくるのだろうか。
孤独が和らぐときがくるのだろうか。

でも、こんなにも待ち望んでいることがやってきたら、その世界を手放したくなくて、誰かの世界をせばめてしまうのではないだろうか。

ならば、愛しい人の世界をせばめてしまうくらいなら、重ならなくてもいいとさえ思うのだ。

…私は自らをどのように生きていたら、納得するのだろうか。
いつか、この靄りとする感覚がなくなり晴れ晴れとしたまま生きてゆくことが出来る日が来たら良いのに。

それは、ある表現においてはブロックと呼ばれたりしている何かなのかもしれないが。

と、今日も私の頭の中はこんな風に徒然なるままに沢山の言葉を喋り続けているのだ。