dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

その扉が開いたら

日光は冬だった。


私大好き!神旅に行ってきたよよよの巻。
(私が大好きな神旅の詳しい内容はアテアさんのHPへどうぞ♪http://atea.jp


初めてなりに旅に出る少し前、産土神社へご縁つなぎのお願いをしに参拝して準備万端。
ざあざあ降りの雨に禊いでもらってから旅立てることにもワクワク。
(単純に産土神社へ参拝すると頭の奥底がすっきりする感じが大好きさ☆うぶーちゃんらぶ♡)

1泊2日の神旅に念願が叶っての初参加だったので当日の朝は少し緊張しつつ「うぶーさま、私にとって必要なご縁やモノコトと繋がる旅になりますように!」ってことを心の中に置いて。


それにしても3月の中旬だと言うのに電車を乗り継いで辿り着いた日光は雪が舞う冬景色。
日光に向かう人たちは沢山いて、電車の中やホームも賑わっていた。

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冬の東武日光駅のホームで舞う雪はちゃあんと結晶の雪だった。
それはそれは結晶の形がとても綺麗で、服に舞い降りた雪を眺めるだけでも楽しかった。
綺麗な結晶を写真に収めようと格闘したり雪と遊んだりしているうちに、ホームの人びとの騒めきが無くなり、私と5歳の女の子とお父さんの親子だけしかいない、穏やかで静かな時間から旅は始まった。

服に付いた雪の結晶写真を撮りたかったけどピントが合うまでに時間がかかって、その間に結晶は儚く溶けてしまった。
写真を通してではなく、いまを生きる私全体で感じたことを大切にしよう、と思いながらホームで舞う雪と共にぼんやり佇んでいた。

神旅はとても不思議な旅だった。
不思議だけど全てがちゃあんと自然に必然な形になっていく。
その中で、私にとって必要なドリルを解いてみたり、旅で訪れた空間や場所では私という身体と魂がまるっと受け入れられる感覚が味わえたりする。

その日あの時間に旅が始まること、雪が舞い散ること、起きること、その全て。
とても美しい推理小説のように神さま方に張り巡らされた綺麗な伏線の全てが回収されてゆく。
回収されるところは旅の中にあれば、日常に帰ってからのこともある。
神旅には、それらを紐解いてゆく楽しみもあった。


私にとって始まりから終わりまで「自分が感じることは全てオッケーで良し!」がテーマだった。

東武日光駅で雪と遊んだり、自由散策の時に一人でゆるゆると空間に身を浸しながら歩いたこと、そんな風に起きた出来事に対して、どんなことを感じたのか、感じるのか。

これが対自然とかだと澱みなく出来るのに、対人間対事柄になってしまうとどうしても自分の感じたことが(片方の見方からすれば)マイナスに思えることほど、そう感じた自分自身を受け入れることが難しくなってしまう。

でも普段だとそんな自分自身の癖に引き摺られてしまいがちな事柄に対して旅の時はフラットになれた。
それはきっと優しい練習問題みたいなもの。
神旅ではスラスラと解けた私を日常で呼び出して日々の生活でも解いていけるように。

私が感じたことも、その出来事も何も悪いことは一つもないんだ。
そこにあるのは「ただ私がその出来事をどう感じたか」ということだけ。
感じた先に、ようやく私が何を選んで何を行動するかがやってくる。

「悲しみ」を感じた
「悲しい気持ちを伝える」行動をした

「悲しみ」を感じた
「悲しい気持ちを味わう」行動をした

伝えることも味わうことも、まず先に悲しい気持ち自分が感じたその先に行動がやってくるんだろう。

それを忘れて、行動だけでなく何かに触れた時の感じ方ですら、理想の何かであろうとしてしまって今まで上手く行かなかったんだなあ。

だから、なんだか人間としての初歩も初歩という感じだけど、私はここから始める。
ものすごく遠回りみたいだし今更ながら亀のような進み方にしょんぼりして嫌になっちゃうけど。
でも兎と亀のように、ゆっくりとでも歩みを続けてゆくことが私にとっては大切なんだよね。
(焦るけどね!)

帰ってきてから振り返りと伏線回収の日々。
これがまた見つけることが出来ると楽しい。

そして神旅は続く。