dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

その瞬間にわかる

「共鳴した」ということが。


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旅のフィナーレを飾る場所で撮影した水面。


書き出すと止めどなく溢れ出てくる何かが巻かれている第5巻。
第1巻
第2巻
第3巻
第4巻



神旅でお話を聞いていると身体と心の奥に響く瞬間がある。
(それは言葉なのか、風景なのか、空気なのかは、その時その時だけど)
触れた瞬間に「これ!」というのは分かる。

その瞬間に触れたとき願いが叶う叶わないとは違う自意識ではないところが満たされる。
なんだかはわからないけれど、この瞬間に出会い触れて共鳴するために来たんだなあということが腑に落ちる。


そんなことを毎回感じていても、泊まりがけの旅が始まる前は少し緊張していた。

でも始まる前に、ふと
「私は何を感じても良い
唯一無二の私が私の感じたことに、せめて私だけでもOKをしよう」
「私が感じることに全て私はまるっと肯定しよう」
ということがドキドキしながらも不思議と自然に思えたんだった。
多分、うぶーちゃんが手助けしてくれたんだろうなあ。

で、そんな風にドキドキながらも感じていたことに対して、旅を通して大丈夫だよ、それで良いんだよ〜、と要所要所で暖かいエールを貰えたのも嬉しかった。


そして何故か二日目の行程中、やけに水面に広がる水紋が気になる気になる。
写真も撮ったり、ふと心に湧き上がる言葉もあった。


(水面に水滴が(雪が降る)落ちると輪が広がる
その広がる様は、共鳴しているよう
それが幾つもの落ちた輪が互いに影響し合いながら、広がる形が変わりながら、それは伝播していく)


そろそろ旅の終わりが見えてきた頃。
フィナーレの場所へ向かって進みながら両腕を縮めては広げ伸ばしを繰り返して「サン、SUN、さん♪」とウキウキで歩いてたら雪道も楽しくて、心の中でひとりテンション高めな感じで。

振り返ると、そんなところも私らしい。
前は穏やかな人になりたかったけど、私の場合は「楽しー!」「嬉しー!」を心の中だけでも、どかーん!と味わう方がしっくりくる。

そんな私は、ついつい人参を目指す馬のようになりがちだけど、走ろうとも歩こうとも同じ道を通るなら道中も楽しんで走るか歩こう。

振り返ると、そんな風に旅の中でぼんやりと感じていたことが花の香りを嗅ぐようにふわりと自然に心の中で旅のことが思い出される。


そんな時間に満ちた旅だった。


…ここまで書けば書くほど極私的な内容で読み返しては少し途方に暮れてしまった。
頭で書こうと考えたことと手が書いていくことが違うのだからしょうがない。
頭で書こうとするなら何処に参拝したとか、どんなことを伝えてもらったかとか、此処に書こうと思えば書けることが他にもたくさんある。
でも、いざ書こうとすると紡ぐ言葉や蘇る思い出は、そういうことじゃないらしい。


最後に神さま方にご挨拶をして日光の神旅は終わりを迎えた。
旅は終わるけど、旅をしたから続いてゆく。
これは、まだ章のひとつ。