狼煙を上げる
もしくは船出の時に鳴らす音。
そんな風景が目の前に広がるような、そんな音が聞こえるようなオープニングだった。
(実際のSEは鳥のさえずりだったんだけど、このセレクションもいちいち心の琴線に触れまくるとゆー。おそるべし、雨のパレード…!)
がっつり変容の年で変容の月に、私の太陽星座であり月星座でもある魚座で起きた満月の夜。
たまたまだ、と。
偶然だ、と。
そう言ってしまえば、それまでだけど。
兎角、この世は奇蹟のやうな偶然が積み重なって出来ているもので。
他の誰でもない、わたしが世界にそうだ、と言っているのだから、私の世界はそういうものでできている。
これから半年のテーマが幕を開けた日に体感したライブは、おそろしく良くて、いま振り返ると、何よりも世界から祝福されているようだった。
ステージに立つ、ということは自分自身を生きる、ということ。
くしくも、自分を生きる彼がステージ上から放った言葉は、そういうことを言っていたように思う。
ライブ後にツイッターで呟いた言葉は、読み返すと少し照れてしまうけど。
でも、私の内側から溢れ出た正直な言葉だ。
雨のパレードめっちゃ最高やった!!!!ああ早く次のステージ見たいな!!!!すんげく楽しみ!そんでもって絶対おっきいハコめっちゃ似合う!ご本人は幕張って言ってたけど私は武道館で見たいな〜〜!!CDで音に触れるよりも身体全体で音のシャワーを浴びまくるライブの方が何千万倍も好きすぎる。
— ことも (@peudejoie) 2016年9月17日
雨のパレードLIVE徒然。奏でられる音楽と身体性。強烈な陰だけが生み出すことのできる光。ミラーボールの輝きは壁に触れ、虹の輪を作る。そのものが内側から光ること、光るが故の陰。光が当たり輝きを放つものが、別の物に触れて違う輝きを放つこと、そして別の物をも照らすこと。連動性、連続性。
— ことも (@peudejoie) 2016年9月17日
続、雨のパレードLIVE徒然。生きることは瞬間と瞬間を積み重ねていくこと。いまをいきる。いまにある。いま、どうありたいか。私の中心が叫ぶ声は内側から放たれる光。夜明け。旗を立てる、世界に。それぞれの内側にある狂気。世界と折り合いをつけるのではなく、世界と自立した関係性を築くこと。
— ことも (@peudejoie) 2016年9月17日
続々、雨のパレードLIVE徒然。ひとはその生み出されたものの中に、自分の中にも同じものがあることを本能的にわかっているのだろう。嗅ぎ取っているとも言える。それに蓋をしているのか、それと手を携えているのか、その関係性はさまざま。その関係性と生み出されたものとの関係性は連動している。
— ことも (@peudejoie) 2016年9月17日
身体の真ん中がワクワクするアーティストに出会えたことが、とても嬉しくて幸せだな。
まめにチェックしてなくても、ちゃんと必要な情報をキャッチした自分をも褒める笑!
とても味わい深いセットリストだった。
いつか自然光の下でも見てみたいな。
ライブハウスに掲げられた写真とか記念に撮っておきたくなる感じ!
こういうライブに参戦!って感じにやっぱり血湧き肉躍るのねー、何気に。
帰り道の夜空に輝くまんまるのお月さま。
十七夜の立待月を見ると夢が叶うという縁起があるそうな。
雲間から見ても、ほわっとでも光続けている。
そして、わたしの心にも灯りが灯る。
ふと湧き上がる願い。
【9月17日、22時18分】
孫悟空の頭についてる輪が外れて、わたしが生きる。
わたしの内側に広がる豊穣なる世界を外側に出すだけ。
そして、その世界がほかの世界と出会う。
豊かになりたいのも輝きたいのも
あまねく望みは嘘ではなく、ただ自分の内側に広がる豊かさを世界に表現したいだけ。
世界に響かせたいだけ。
その響きと共鳴することで生まれるものを見たいだけ。
そんなことを、つらつらと呟きながら、帰る幸せな時間を過ごした夜。
ー2016年9月17日土曜日、雨のパレード『You&I』渋谷CLUB QUATTRO