2018年、宇宙元旦、春分
魚座の時間帯から牡羊座の時間帯へ。
昨日の夜は、塩と純米酒のスッキリコンビのお風呂に入った。
頭まで丸ごと浸かろうとしすぎて、肘を湯船に擦りすぎてヒリヒリ。
まだtarotを始めたばかりの私でも分かりやすい勢いのあるdeck。
条件や社会的な側面から私の状況を読み解くならば、ある意味、私の文脈が恵まれている、ということも、この状況も珍しくない大多数的な括りにされることも知ってる。
結果や現状が似ていて大多数の中に括られるとしても、そこに至るまでの道のりって、結構違うもんでさ…それによっても感じている課題のようなものには乖離性があると思うんでさ…。
そして、そんな状況であるところの設問は大多数の地球人は解いていて大した問いではない、むしろ息を吸うかのように容易く、どうやって息を吸ったらいいかなんて…聞かれてもさあ…的なレベルなのだろう。
でも、当方に至っては生まれてこの方、なんでこんなに地球で生きていくのは大変なんだ!と感じていたのは、そういうことだったのか…と白旗を上げるキモチ。
足のつかない深いプールで、どうやって泳いだら良いのか、どのタイミングで呼吸したら良いのか、全く分からないみたいな感じなのだ。
大多数の人々が軽々とこなしていく人間としてのタスクが、全くこなせないのだから。
これがまたややこいのが心中は満身創痍になりつつも、何とかかんとか、とりま当たり障りなく見せかけるように日々を送ることは出来てしまったから、余計にタチが悪いとでも申しましょうか。
そして、明らかな天才肌的な感じでもないとゆー…これでまだ岡本太郎的な感じだったら、諦めってもんも早々とついたのでしょう…そんな状況にしても状態にしても中途半端すぐる。
かといって、みんなと違っていて、ズレてるな、地球で生きるの大変だなあ…と思っていても、そう感じている自分のことを、大人になったらいつの日か楽になるんだろうか…と思いつつ、ぼんやりのんびり観察してたけど、別にこのまんまなのね…。
変えたい、直したい、とかは思ってたけど、なぜか悲愴感溢れる感じ方ではなく不思議な肯定感のもとに生きてこれた理由もホロスコープには出ていて面白かった。
オトコマエだったり、やけに冷静に分析しちゃうわりには、急に見た前後の文脈を知らないドラマの悲しい場面を見てもビックリするくらい簡単に涙がダバダバ出てくること…そんなことまでも出ているホロスコープよ…。
しかも、私自身は予定日よりも早く地球にやってきていて、そんなあたりも星模様を自ら率先して選んできている感が…満載すぎる。