dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

満月の輪

満月手前。
お月さまの周りに雲の輪っか。
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満ちて満ちて輪となり
すべてが繋がっている

すべては、統べて

すべてのわたしが
ひかりでありかげ
かげでありひかり

かげだと嘆いていたことが
ひかりだったんだと気づく
ひかりを見つけるためには
かげを見ることが必要だと

かつて大いなるひとつだったときは
知っていたことを身体で味わうため
わたしは忘れてしまったのだけれど

すべてのいままでがあったから
味わうことができたんだという
つよがりではなく内側から感じ
放てるようになるまでもう少し

なれることは決まったのだから
安心して遊び続けていていいよ


いま、このとき、この世界に

自分を生きると
自分と調和する

私と調和した私は
自らの内側にある

真ん中で光り輝く私が
私の世界を照らし出す

光り輝く私に照らし出された世界は
ど真ん中にある私が望んでいたもの



ある人のブログを読んでいて、とても羨ましいと感じたこと。
それは人と関わる姿を見て感じた気持ち。
たぶん今世で人と関わりたいと思ったんだな、わたし。
人と離れていても、それなりに楽しく生きれてしまうから人と関わらなかったけど。
いま選んでいる仕事も人と関わる仕事。
だから、やっぱり自分であり自分ではない誰かという存在を感じたくて生まれたんだろうな。
大いなるひとつのままだと味わえない気持ち。
わたしが隠してしまったわたしを見つけたい。
たくさん着込んだものは着込む必要が無かったことを知ったよ。
そして、それを教えてくれたのは、紛れもなく、大いなる世界ではひとつの存在だった、わたしではない誰かだ。


そしてなぜか

大國魂神社の松尾社にて。
ぼんやり、ぼーっと佇んでいたとき。
脳内で自動演奏される「Oh Happy Day」
思わず気になって検索さ。
賛美歌が元で有名な映画の劇中歌だから、いろんな文献がある。
今回は全体的な意味でポイントをメッセージとして受け取ってみますた。

Oh, happy day
なんて幸せな日でしょう
When Jesus washed
神さまが洗い流してくれた
He washed my sins away
神さまが私の穢れを洗い流してくれた
Oh, happy day
なんて幸せな日なの

And live rejoicing day
そして生きる、喜びの日々を
Free day,every day
自由な日々を、毎日を

…!
わーい!
神さま方、ありがちう!
もー!
なんと言っても喜びと自由が最高に良い。
大好きだ、大好物ですたい。
楽しんで生きよう、喜んで生きよう。

あたーらしーいあーさがきた(後篇)

さて前篇の続きです。

 
道すがら、ふと調べてみたら大國魂神社武蔵国府の総社であり、酉の市も立つのであった…そうか、総社と酉の市というイメージは合ってたんだなあ。
 
酉の市と言えば、むかし働いていたときに共に仕事をしていた長老的な人と一緒に浅草で行われていた酉の市に行ったのが初めての酉の市。
この長老的な人は後々の私にとっても示唆的な存在で、私にとって産土神社(その頃は産土神社とは知らなかったけど)の名前を正しく教えてくれた方だった。
あとは、2014年のときは酉の市が行われた次の日が11月11日だったことなど、色んなことをぼんやりと思い出しながら向かったのだった。
 
やはり、たくさんの人たちで賑わっているものの、小雨降る中だったためかお祭りの日にしてはそんなに息苦しくなかった。
11時11分というマイルストーン的な時刻が気になりつつも、ぶらぶらと気になるところにご挨拶周りに。
ああ、そろそろかなあ、という頃に然るべき場所で自然に愛に満ちた祈りを捧げることが出来たのだ。
それは、とても嬉しい一致だった。
 
それにしても今日はどうしても摂社が気になって頭から離れなかった。
主だったところにご挨拶した後、お昼を食べてから主たる境内から離れたところにある摂社を周ることに。
 
金比羅神社からお地蔵さま、小さなお稲荷さん、日吉神社、天神社、もう一つの小さなお稲荷さん、再び大國魂神社
これだけでも、小雨降る中たくさん歩いたので(全然へっちゃら、かつ歩くのって好みなんですがね、それでも)もう良いかなあ、と表層の自意識は思うのに深いところにいる自意識がもう一つ参拝しようと言うので、瀧神社を巡り、その戻る道すがらに武蔵国八幡宮を見つけて三たび大國魂神社へ。
 
途中には、まだブログでは書いていないうちに参拝した時にご縁がありまくりな猿田彦大神の匂い漂う庚申塔にも出会い。
(…と言うか、大國魂神社の参道に最初にいらっしゃるはアメノウズメさまですわねー、あはは笑)
 
よく歩いたところは日吉町…笑
神さま方って、ほんと粋ですこと!
東京でも猿田彦大神さまにご挨拶に行かねばね。
 
今日、大國魂神社で参拝していて一番ほっこりしたのは松尾社。
ちなみにここにいらっしゃるのは大山咋神さま。
そして大山咋神さまで思い浮かぶは赤坂日枝神社
こちらの摂社には猿田彦大神さま。
はーい、参拝に行きまーす。
 
と、こんな感じで神さま方にご挨拶したり神社巡りが続いてゆくのであり、それは大変に幸せなのであります。
 
私は神社と神さま方が大好きよー!!!
と自己世界の中心で愛を叫ぶのだ!!!
 

あたーらしーいあーさがきた(前篇)

《新しい朝が来た、希望の朝だ。》

 
振り返ると久しぶりのブログ。
さて何から書き始めようかと思った途端に頭の中に流れたのが冒頭のフレーズ。
なるほど。
1111は次の流れの始まりだと各所で言われている中で、私にとっても新しい流れの始まりなんだな。
 
土星が獅子座の私は自己表現に対して何やらテーマがあるらしい、と言うか自分にとっては普通だったから、そんなものでは?と思っていたフシがある。
だから、勝手に自分の気持ちを他者に伝えることに対してハードルが高いのであった。
でも、どんなことを綴ろうと私の勝手で良いのだ。
別に押し付けてるわけじゃなし。
 
あるブログによれば、新しい始まりにあたる今日は時空を超えて、次のステージへ進むための準備が動き出す日なんだそう。
それを読んで、やっぱり神社に行きたいなあと思い昨日からずーっと考えていた。
何処に行けば良いのかなあ、と。
もちろん、好きなところ行きたいところに行くのだけれど、神社が大好きな私にとっては、気になるところが何箇所もあるうえに、ものすごーーーーーーーーく産土神社らぶ!な人なので、何にもぼーっとしてれば何はなくとも産土神社な人なのだ。
 
けれど考える、というのとは違う意味で、産土神社ではないところに参拝する感じが頭から離れなかった。
のでキーワードを探るようにお知らせを探っていた。
 
浅草の鷲神社で行われる酉の市が気になる感じがありつつも、浅草に全くピンと来ず。
住んでいるところの一宮か総社かなー、と思っても何となく違うような。
総社っぽい雰囲気はありつつも、住んでいるところの感じではない。
 
でも何となーく、一宮と江島神社にでも行こうかなあー、と思っていたら、ふと2014年に初めて神縁ツアーで訪れた大國魂神社が浮かんできた。
しかも、その時も11月11日に参拝していて同じ日付ということにも縁を感じたのだった。
しかも、ああ、なんかそこかもしれぬ…と言うぼんやりとしつつも流れを感じて参拝することに。
 
 
後篇に続く!
 

ただいま、地味に実践ちう。

常に私の世界の中心、創造主はわたし。
だから私の世界を心地よい世界にするのは私が心地よくあることだけ。
そのために、わたしがいまできるすぐに心地よくなるには、どうしたらいいかどうしたら私は心地がよいのかを心に、ど真ん中に常に問いかけ続ける。
昨日の心地よかったことが今日も心地よいとは限らない。
常に《いま》どう感じているか、が大切。
 

happyちゃんを通して知ったエイブラハムの話。

元々、旧来型のやり方はどういうことかな??ポカーンなひとだから凄く本来の自分に近い話だってこと、とてもよくわかる。

happyちゃんのことを引き寄せの流れで知ってはいたけれどブログを読んだりはしたことなかった。
でも今年に入ってから、ぽーんと手元に情報がやってきて読んでみたら、すごくわかりやすかった。
いわゆる引き寄せで言われていることには色んな段階があって、そもそもすっ飛ばしてしまっていた初めの一歩を何処に歩き出したら良いかを教えてくれてる!って言うことがわかった。

ワークショップとか一度も行ったことがないのに何故だかエイブラハムのDVDは速攻で購入した割にはすぐに見始めないっていうね。
(なんであんなに必死に買ったのにすぐに見ないなんて何故だ、私?と責めるのは違うよってことも分かったから。結果、このタイムラグは必要だったってこと。)
それでいい、それがいい、ってことも分かった。
ある日、ふとやってきたのだ。
「あ、いまから見よう」と。
そうして見るDVDや特典映像は、すごく分かりやすくて、失敗した経験すらも読解に役立つという。
 
私のこれまで全て、本当の全てが私という唯一無二の私の世界を作っている。
わたしが心地よくいること以上に大切なことは何もない。
 
まだ地味に忘れたり思い出したりしながら、実践ちう。
 
今日もしっかりしなきゃな自分で立てたタイムテーブルを実行していたら出会えなかったことに出会えた。
たまたま、ゆるりと過ごしていたときに見たNHKヨーロッパ鉄道の旅で流れていた関口さんの歌を聞きたかったんだなあ、ってこと。
ささやかだけどね。
でも関連コンテンツを見ると楽しくて、グリットが整う感じがした。
これが明日になったら、また変わるかもしれない。
でも、それでいい。
それがいい。
だから、わたしは常にど真ん中のわたしが感じていることを読み解き続けるんだ。
 

同じ景色が続くと思ってた

たまに利用している駅の改札口が移動していた。
大幅な変化よりも微妙に違う位置という、ほんの少しの違和感を感じる変化、そういう変化はずっと永遠に続くかのように感じていた私に、そんなことはないのだと静かに伝えるようだ。

ときに、声高に伝えられる言葉よりも、淡々と伝えられる言葉の方が重みがあるように。
それは、じわじわと私に何かを伝える。

そんなことをつらつらと感じていたら、スタバで大好きだったフルリーフチャイティーラテがメニューからなくなっていたのであった…。