dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

ある旅を振り返る、そのひとつ。

4/9子宮の日
その旅路、ただのログ。

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白長弁財天
御神木
直霊がふるふる

ちびっ子
みーつけた!
大丈夫やで〜〜

ちびっ子とすれ違って
私は登っていて、ちびっ子たちは降りていった
くねった道でちょうど、ちびっ子たちが集まってきゃわきゃわしているところを少し高いところから見えた、その瞬間に。
神さま方は、もしかしたら、こんな風に私たち人間のことを見ていてくれるのかもしれない。

そんな風に感じたんだ。

転んで泣いて
でも走ったり
みーつけた!
大丈夫やで〜
めいめいが心の中を明るく話している

あんな風に、見えていたら、そりゃあ、神さま方は人間のことを可愛く、かわええなあ♪と感じてくれてる気がしたら、涙が出てきた。

閼伽井護法善神
龍神さま〜
風と桜ひらひら、落ち葉でようこそ

貴船神社で初めて結婚式を挙げている日に参拝した〜〜☆
式そのものは見てないけど掲示があったもんね。

今日は左の日だった。

そもそも京都に行ったのは

のためだったんだけど。
面白かったのは能楽堂で見つけたポスター。
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ぶぶっ。
だから鞍馬寺に行ったのか…わたしは笑!

そして、天狗は産土神社にもいらっしゃるは、総本山にもいらっしゃるのよね…なんの意味があるのかなーん。

他の誰でもなく

自分のために、このブログを書き始めた。
でも、せっかく書くなら、どこの誰かは分からないけど、誰かに届いたら良いなあ、っていう欲望があった。
(まだその欲はあるうえに、せっかくってあたりが…なんとも…!)
そして、その欲望は私にエゴや見栄で文章を書かせようとしたけれど、すると途端に書けなくなる。

だかは、まずは他の誰でもなく自分が書きたいことを書きたいだけ書こう。

気になっていることに旗を立てて、自分がここに生きているという狼煙を上げなくちゃ。

それは、他の誰のためでもない。
私というカタチの自分のために。
そしてただひとつの足跡を残す。


こんにちは、こんにちは。

また新しい月の新月がやってきた。

先月の神旅で訪れた鶴岡八幡宮では七夕の飾りが揺らめいていた。
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その飾りが揺らめくさまが美しかったので、もう一度、七夕までに参拝したいなあと思っていたらスケジュール的にも暦的にもここしかない!という日が今日だった。

詳しい理由は聞くのを忘れてしまったけど今年の七夕も大切なんだそうな。
厳密には暦的なマイルストーンの日だけが大切ってことはないらしい。
いわゆる端境期ですね。

とここまで書いていて、ふと浮かんだ推測。
夏至の端境期が終わるのが七夕なのかな。
だとすると夏至から次のターンに移るんだな〜、なんてことをホワホワ思いながらブログを書いている最中にアテアさんからメルマガを受信したなりよ。
おお!
大事!
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全てがここにある

その言葉がタイムラインに流れてきた。
それは、あの日光神旅から4ヶ月近く経っていた。

あの日、ふと頭の中に浮かんだ言葉。

その言葉と繋がる言葉が7月にやってきた。
水紋(渦巻き紋)/渦巻き模様には「外側から内側にたどるほど近づく」という幸せな意味があります。

見た瞬間に日光神旅の最終日に出会った川の水面に映る水紋を思い出した。
共鳴するということ。
そして言葉を掛け合わせると、
《自らの内側にたどれば
共鳴する誰かと近づく》
というメッセージかなあ。

そんなことを感じる夜。
やはり、いま取り組むテーマは【何よりも大切なことは今、この瞬間に私が良い気分でいることだけ。】
なんだろうな。

外側から答えを探すのではなく
内側に全てがあることを信じる


夏越の祓する人は

これを書いている今はもう7月だなんて。
と色んな時系列が揺らぐ今日この頃。
今日から7月ということは昨日は6月の最終日。
なので夏越の祓へ。

ここ数年は参拝できる時は茅の輪くぐりをするようにしている。
初めてくぐったのは…たぶん日枝神社だったような。
でも印象に残っているのは2013年のこと。
今になってようやく微笑ましくも振り返れるようになってきたけど、あの年の6月は最高潮にデトックスシーズンだった。
心身ともにボロボロになりつつ、空中ループのライブに行くため京都に行った年。
ちょうど夏至の日だったのかな。
(一説によると昔は夏至の日に夏越の祓が行われていたそうな)
貴船神社でくぐったことを思い出す。

水無月の夏越の祓する人は千年の命のぶといふなり
思ふことみなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓ひつるかな

これらを呟きながら茅の輪くぐりをしたこと。
もう遠く霞んでいるけれど、でも、それで良いと思う。
いまはいまのぐるぐるがあったりしてさ。

でも、本当にあの頃を含めて祓いきった感じがする。
新しい朝はとても穏やかで、穏やかであることが自然で嬉しい。

そんな或る7月の始まり。

奥底にいるワタシの声を聞く

全く関係ないけどカタカナのワタシってタワシみたい。
タワシみたいな私は嫌だなあ。
棘棘してるし…トゲって漢字って棘棘してるなあ。

いろんなことがあった週末。
それは、なかなか素直に受け入れにくいことだったりだったり。

少し前から《自分の声を聞く》とは何ぞやと気になって仕方がない。
何ぞやと申しますのも、まあ言葉尻的には充分すぎるほど頭で知ってはいる。
でもそれまでなの。
体験というか実践が伴ってない。
だから腑に落としたい。
んだな。
Happyちゃんとかも折に触れて「あなたが良い気分でいること以上に大切なことは何もない」と書いている。

(それにしてもHappyちゃんが凄いなあと思うのは、いわゆるスピ系の本において序章と第1章の間に書いておいて欲しいこと、そうか私はそこで躓いてるのね…と自分のことでありながら分からなかった痒いところに手が届くような点を体現して表現しているところ)

で、《自分の声を聞く》にも《良い気分でいる》でも、共通している点。
それは常に《今の自分が良い気分かどうか/今の自分の声は何を言っているか》というところ。

兎にも角にも、今、いま、イマなのである。
私がハマりやすいループなのが“さっきの私が”とか“昨日の私が”に、あっという間に思考が連れ去られてしまう。
超凄腕の誘拐犯がいるのである。
私の思考、連れ去りたくなっちゃうくらい、可愛くて仕方がないんだねえ。

もっと【今】に集中できるようになりたい。

そのためには、訓練訓練また訓練。
連れ去られそうになったら連れ戻す。
いま、何を、感じているのか。
すぐに上手く出来なくても、しょんぼりしても、しょんぼりしてるんだと感じた後に、すぐ今を感じる。

ああ、こんなに分かりにくい文章、アップしていいのかな、と書きながら思ってしまったり。

という、それすら遊びなんだけど。
そんな遊びを面白おかしく楽しく過ごす、まずは今日を過ごせますように。

一気に変えると揺り戻しがあるかもなので、躊躇してるけど、1ヶ月ほど情報断捨離して自分の内側に深く潜ることもやりたいな。

まずは、内側に触れることを。