ありがとありがとありがとー!
引き続き、雨の降りしきる秋分点を超えた今日。
天赦日で一粒万倍日だし、何だか主張も感じるし、ってことで寒川神社に参拝へ。
もちろん、いつだってどんなときだって神さまは力を貸してくださる。
けど、ささやかでも私が出来ることとして、出来るときは良き日にも参拝すること。
あと、最近何となくアクセサリーとか、手を使って作ることに強烈に惹かれる気持ちが漂う。
数秘術も気になる気になる気になる。
改めて勉強したいブームが来ている。
しかも、久しぶりにちょこちょこ頼まれて人のを調べるときに紙に手で書いていると浮かび上がる、その人ならではの風景がある。
これも《手》が関係している。
マヤ暦のkinには青い手が入っていて、だから多分アナログ的に手を使うことが向いてるんだろうな。
向かう前に考えていたお願いごとは、数秘術のワークショップに出るかどうか、交渉なしで待遇が良くなること、今の仕事と並行して出来る魂が喜ぶ働くこと、について。
嬉しいし、感慨深いなあ。
ここにもいらっしゃい!感が満ち満ち。
待遇の件は早々にオッケー!を貰ったので10月を楽しみに待ってよーっと。
とりあえず何かは分からないけど電車を乗り継ぎ向かってみることに。
両方ともに願い通りに叶ったのであった。
そのお礼に行かねば!ってことだったのねー。
納得なっとく。
鶴岡八幡宮は、いつ参拝しても人がわさわさしてるんだけど、こうなると逆に雨が恵みのよう。
たくさんの人が行き交っていてる境内が雨で爽やかさを保っている。
ゆっくりお礼を伝えることが出来て嬉しい。
ここでは御神籤に願いを託すぜ…ヘイ!って勢い良く結果を見てみると思っていたカテゴリーが無いっていう…泣。
そもそも、もうOKが前提っていうこと?とか一番近そうなカテゴリーで【勉強が必要】って言われているからOKってこと?など混乱。
ひゅっ!と決めたら、そのあとにオッケー!オッケー!なお知らせが。
後押しをありがとーう、神さま方。
場所も、豊かさが本質のところでお知らせしてくれたから、こりゃやっぱり何か数秘術にはあるのかもしれないなあ。
鶴岡八幡宮から見えた夕暮れと夜の間。
狼煙を上げる
もしくは船出の時に鳴らす音。
そんな風景が目の前に広がるような、そんな音が聞こえるようなオープニングだった。
(実際のSEは鳥のさえずりだったんだけど、このセレクションもいちいち心の琴線に触れまくるとゆー。おそるべし、雨のパレード…!)
がっつり変容の年で変容の月に、私の太陽星座であり月星座でもある魚座で起きた満月の夜。
たまたまだ、と。
偶然だ、と。
そう言ってしまえば、それまでだけど。
兎角、この世は奇蹟のやうな偶然が積み重なって出来ているもので。
他の誰でもない、わたしが世界にそうだ、と言っているのだから、私の世界はそういうものでできている。
これから半年のテーマが幕を開けた日に体感したライブは、おそろしく良くて、いま振り返ると、何よりも世界から祝福されているようだった。
ステージに立つ、ということは自分自身を生きる、ということ。
くしくも、自分を生きる彼がステージ上から放った言葉は、そういうことを言っていたように思う。
ライブ後にツイッターで呟いた言葉は、読み返すと少し照れてしまうけど。
でも、私の内側から溢れ出た正直な言葉だ。
雨のパレードめっちゃ最高やった!!!!ああ早く次のステージ見たいな!!!!すんげく楽しみ!そんでもって絶対おっきいハコめっちゃ似合う!ご本人は幕張って言ってたけど私は武道館で見たいな〜〜!!CDで音に触れるよりも身体全体で音のシャワーを浴びまくるライブの方が何千万倍も好きすぎる。
— ことも (@peudejoie) 2016年9月17日
雨のパレードLIVE徒然。奏でられる音楽と身体性。強烈な陰だけが生み出すことのできる光。ミラーボールの輝きは壁に触れ、虹の輪を作る。そのものが内側から光ること、光るが故の陰。光が当たり輝きを放つものが、別の物に触れて違う輝きを放つこと、そして別の物をも照らすこと。連動性、連続性。
— ことも (@peudejoie) 2016年9月17日
続、雨のパレードLIVE徒然。生きることは瞬間と瞬間を積み重ねていくこと。いまをいきる。いまにある。いま、どうありたいか。私の中心が叫ぶ声は内側から放たれる光。夜明け。旗を立てる、世界に。それぞれの内側にある狂気。世界と折り合いをつけるのではなく、世界と自立した関係性を築くこと。
— ことも (@peudejoie) 2016年9月17日
続々、雨のパレードLIVE徒然。ひとはその生み出されたものの中に、自分の中にも同じものがあることを本能的にわかっているのだろう。嗅ぎ取っているとも言える。それに蓋をしているのか、それと手を携えているのか、その関係性はさまざま。その関係性と生み出されたものとの関係性は連動している。
— ことも (@peudejoie) 2016年9月17日
身体の真ん中がワクワクするアーティストに出会えたことが、とても嬉しくて幸せだな。
まめにチェックしてなくても、ちゃんと必要な情報をキャッチした自分をも褒める笑!
とても味わい深いセットリストだった。
いつか自然光の下でも見てみたいな。
ライブハウスに掲げられた写真とか記念に撮っておきたくなる感じ!
こういうライブに参戦!って感じにやっぱり血湧き肉躍るのねー、何気に。
帰り道の夜空に輝くまんまるのお月さま。
十七夜の立待月を見ると夢が叶うという縁起があるそうな。
雲間から見ても、ほわっとでも光続けている。
そして、わたしの心にも灯りが灯る。
ふと湧き上がる願い。
【9月17日、22時18分】
孫悟空の頭についてる輪が外れて、わたしが生きる。
わたしの内側に広がる豊穣なる世界を外側に出すだけ。
そして、その世界がほかの世界と出会う。
豊かになりたいのも輝きたいのも
あまねく望みは嘘ではなく、ただ自分の内側に広がる豊かさを世界に表現したいだけ。
世界に響かせたいだけ。
その響きと共鳴することで生まれるものを見たいだけ。
そんなことを、つらつらと呟きながら、帰る幸せな時間を過ごした夜。
ー2016年9月17日土曜日、雨のパレード『You&I』渋谷CLUB QUATTRO
登ること、降ること
爆睡の日曜日。
ゴロゴロひたすら眠る。
昨日は土曜日は友達と一緒に参拝デー。
お山の中に本社があり普段は下社までのところをテクテク山登りして本社まで。
下社を出発してすぐに、太鼓の音が聞こえてきて、なんだか行ってらっしゃい〜と送り出してもらった感じ。
先日の講座で聞いた白山神社に行きたいな〜、とほわわんと思ってたら、下社を登り始めてすぐに縁のあるところがあって、神さまの采配に嬉しくて笑ってしまう。
ついつい黙々と歩きがちだけど、友達と話しながら、ご神気たっぷりの涼やかな風を身体に含ませながら、少しづつ登ってゆく。
残念ながら、浮世絵に登場したという富士見のポイントでは見ることができなかったけど。
でも良いお天気に恵まれて、本当に心地よい、くくりの力をお借りして何か必要なご縁を繋いでもらえた時間だった。
最後、最寄駅に戻るバスの車中で、友達が「冷やし中華が食べたい〜〜」と言ってたら降りてすぐの食堂にまんまとあって、友達の希望通りの具だったという….神さまありがとーう!
話してるポイントで、急にぐぐっとお日さまがピカーッと光ってくれたり、参拝ちうには応えるようにそよそよと風を送ってくれたり、思い思われな参拝にもなって、とても幸せな1日。
猪子さんは何を見てるんだろう
どんな風に世界を見ているんだろうね。
どんな風に世界が見えているんだろう。
チームラボの展示を見にお台場へ。
とにかく混んでいることを理解した上で行ったので、びっくりはしなかったけど炎天下の中でたくさんの人たちが列をなしていた。
元々、好きで展示を見に行ってたけど。
2015年に見に行った日本科学未来館での展示がすごーく良かった。
だから混んでると聞いても行かずにはいられなかった。
…で、体感して最初に感じたこと。
(何かが薄まる感じがあって、原文そのまま)
神社で神さまに会ったときみたい。
眩く鮮やかな色に溢れた光は教会のステンドグラスのよう。
光が差し込む。
たしかに人を少し狂わせる
感覚のアセンション
やみは宇宙だ
宇宙たる闇があるから、
光の存在が見える
光たることができる
人が生まれる前にいたところに似ているのかもしれない。
だから赤ちゃんは泣いちゃうのかもね。
せっかく地球にきたのにって。
次の部屋は黄泉の国かな
水に泳ぐ
鯉は、魂
最初はそう思ったけど最後の展示まで見て感じたことは大いなる物語だった。
魂が宇宙から生まれて
(Wander through the Crystal Universe)
この世はうつつ
(人と共に踊る鯉よって描かれる水面のドローイング - Infinity)
そしてまた魂は宇宙に戻る
(Floating in the Falling Universe of Flowers)
形は違えど、すべては祝福されている
大いなる宇宙に抱かれる
言語化しにくい
けれど体感に残る
何かが腑に落ちるような
ダイアログ・イン・ザ・ダークに似ているような
でも似て非なるもののような
不思議な体験だった
たしかに体感型ではあるものの主だった展示の全ては視覚効果によってもたらされている。
展示と展示の間には床の感触に違いが施されていて(柔らかかったり、人工芝な、感触があった)坂があったり、薄暗くなっていて視覚を使わないようにしてるところも面白かった。
(ちょいちょい短かったけど)
ちゃんと体感できなかくて残念だったけど「やわらかいブラックホール ーあなたの身体は空間であり、空間は他者の身体である」は、単純に揺れ続ける世界に自らの身体を運ぶだけでも楽しかった。
タイトルの通りで空間における他者との連動性を味わえるというのが興味深い。
(これ、もっと暗くて、もう少し大きい空間だったら完全にわたし好み。でも、もしかしたら連動性を、味わえる最大値だったのかな…。あと仕方がなきこととはゆえ、係員の人が進んでくれとめっちゃ急かすし混んでてねっころがれなくて作品を最大限に味わえなかった…泣!)
わたしが最初に黄泉の国と思い、その後この世を表していると感じた「人と共に踊る鯉よって描かれる水面のドローイング - Infinity」は水の触感、プールのような匂い、音、そして巨大な水面は揺れて触れて、たゆたう感覚と味覚以外の五感を使うものだった。
自然の中で味わう全体性の中にある個としての自分の小ささと、個として感じていることはあるのに大いなる全体性の中で同じタイミングで感嘆符を唱えていると個としての境目が不確かになるのは似ていることかのかもしれない。
(極私的視点ですが理系の人って本当はロマンチストで極まるとスピリチュアルなことに繋がってて親和性が高いと思う)
とにかく、非常に興味深い体験で
とても纏めにくい体験。
咀嚼能力が問われる感じ。
でも身体が伸びやかであれば、良いのかもね。
(ってか、結局そこに行き着くww)