dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

0019:目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

バッハのカンタータ

夜、たまたま見たドキュメンタリー番組のテーマがパイプオルガン。
そして、舞台は夏にharuka nakamuraで訪れた東京カテドラル聖マリア大聖堂

どのテーマも詳しくなくても、思い入れがなくても、ほんの少しづつのきっかけの重なりが心に響き届き、淡い残像のように心で光る。

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そんな蠍座新月の夜。


0018:繭を纏う

うすうい、うすうい、繭のようなものを纏っている。

その繭を纏わなければ、自らの魂が傷付いてしまうような気がして。
そして、人によって、いろんな繭がある。
魂で生きることを守るために必要だと感じた何かを繭として纏っている。

でも、もう、いいのだと。

繭は優しく柔らかく暖かい。
でも世界から私の魂がぼんやりとしてしまう。
私が見ている世界すらぼんやりとしてしまう。

私は自らの魂をハッキリと輝かせて生きたい。
だから、もう、この繭を脱いで。

世界を鮮やかに見て。
世界に魂を光らせて。



自らの魂を表現する友を羨ましく思っていて。
私も何かを、表現する何かを持ちたいともがいている。
そのことを伝えた尊敬するその人から、私も既に表現していると。
感じたことを、何かを、身体に受け止めて、それをまた言葉で表現して伝えていると。
それは私と世界を繋げるというより、魂と魂を繋げるために翻訳しているような。
そんな風に表現しているのだと。

0017:灯油が焚かれている匂い

家に着いて、ぷうんと薫る灯油の焚かれている匂い。
ああ冬だなあ、としみじみ感じた夜。

全ては光。
そのことを思い出して感じること。
それが本来の姿に戻れること。

大好きな神社などは、私の全てが光であることを無意識のうちに思い出せるところ。
光という本来の姿に戻してくれる場所。

016:ざわわざわわ

これは歌のフレーズではなく、心の波風のこと。

うーん、ざわわざわわしてますな。
その理由は何だろう。

もっと最善が尽くせたと思ってるから?
それとも誰かを前にして自分の望みをストレートに伝えることに躊躇してしまったから?

私は、私の中の審判にいつもお伺いを立てているのかも。
それは、仮想の親であり、仮想の社会であり、仮想の善であるのかもしれない。
それらは実態も確証もない。
他者ではなく、私の中にあるそれらによって、無意識のうちに私が私を裁いてしまう。
私は私の中に全肯定の私を育てたい。
どんな私も私であること。
私がどんな私でも私だと抱きしめることが出来ること。

だから、あの子の望みもあるかもだけど、誰かを持ってきて希望を伝えるのではなく、私は私の望みを世界に伝える。

そうか、あの子はあの子が希望している、とは言わなかった。
〇〇さんがあの子を連れて行きたいと言うかも、と言った。
〇〇さんが、私が苦手なことを克服しろというかも、と言った。
だから、ざわわするんだ。
どんなに独断的でも、私は誰かの言葉を使って自分の望みを叶えようとするのではなく、私が望んでいるのだと。
例え、言うことに怖くても恐れていても、それでも自らが自分の望みを他者に世界に言う伝える、ことを少しづつ選んで行動したいんだ。

0015:ゆるめにゆるめに

千日回開行、私のやり方。

ぼーっとしていると、気が付くと日を跨いでしまふ今日この頃。
と言うことで深夜も同じ日としたい。
アップすると日付的には違う日なんだけどね。
それでも、細々とでも、続けるために。
続けていけるように、ゆるめにやろうということで。
千日は日付ではなく、私が起きてから眠るまで、としまーす。

別に誰か審判がいるわけじゃないけど。
自分に向けて。
そして、これで今日はおしまい笑。

0013:佐賀を差し置いたゾロ目の旅、後編

ゾロ目の旅


で、武蔵国の一宮、で検索すると出てくるのは二つの神社。
(これがなかなか興味深い)
その一つは埼玉県大宮の氷川神社
こちらは一度参拝したことあり。

もう一つが聖蹟桜ヶ丘駅にある小野神社。

こちらは大國魂神社のくらやみ祭りでは一宮として名を連ねている神社。
こちらはまだ参拝したことがなく、今回参拝することに。
何気なく検索すると、こちらにお祀りされている神さま方も、錚々たる方々。

そして検索したとき、もう一つ興味深い情報が。
多摩川を挟んで双対になっている神社がある、という話を読んで真偽のほどは定かではないけれど、面白そう、と思ってそちらにも参拝することに。
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こじんまりとしているけれど、近くの人たちに大切にされている優しい雰囲気の神社さんでした。

そして、多摩川を渡って、もう一つの小野神社へ。

ここから11月13日、追記分。
駅から神社に向かって歩いている途中に、神社のもつ歴史を感じられるところがありました。
(でも、あんまり人が見ていないのか、草がぼうぼうでしたけど笑)
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こちらの小野神社さんも、とてもすっきりとしていて爽やかな雰囲気のところでした。
近くに公園があって、遊んでいるちびっこたちの声が聞こえてきて、ほっこりしました。
拝殿にあった狛犬さんが彫られた大きな彫刻が凄く素敵でした。
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行き当たりばったりの神社旅でしたが、楽しい時間となりました。