dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

世間で言われる

距離は。

時間とか空間とか土地とか
何がしかの観点においては確かに離れているけど。
でも、それって距離じゃない。

全て心なら簡単に超える。

でも、心だから超えられない気がする。
距離が在る気がする。

七夕の願い

わたしで在ること

(外側や出来事は私が感じるためにあるだけで、わたしの幸せを揺るがすものではない)

いつも自分で勝手に幸せで在ること

全てが大丈夫な世界にいることを受け入れること

どんなわたしも、わたしだけは、いつでも全肯定。

インナーチャイルドとインナーペアレントが仲良し。

明るく楽しく軽やかに、いつも新しいことが当たり前になる。

自分の感じたこと、自分がやったこと、自分で選んだこと、

わたしはエネルギーの存在であり、エネルギーは軽やかに動く、だから、いま、ここしあわせ、であること。


ただ好き、であることの偉大さを

何かは分からないけれど、ただただエネルギーのようなものが放出され、ひたすらただただ泣けて泣けてしかたがない約3時間だった。

それは、ものすごくものすごく幸せな時間で。
それは、触れることで共に生きてきた自分の過去をまるっと全肯定できるもの。

いろんなときがあって、でも確かに私の心に響き続けている音楽たち。

終わったあとに、すごく良かったんだー!!と話すだけでも幸せで。
そのことを聞いてくれる人がいることも幸せだし。

さまざまなことがあって、学生時代ほどの聞き込み方はしなくなったけど、でも、確実に私の中で生き続けているもの。
いま、なお、最前線で音を鳴らしてくれていることの喜びよ。
ふと奏でられた音に、言葉に、心が喜びに満ちること。

いつも、いま、いまの良さを感じさせてくれる音楽やライブ。
ただ好き、いま好き、であることの素晴らしさ。
それは、彼らが彼らとして、いま、に在り続けているから。
伝説でもなく、過去の栄光でもなく、つねに、いまの彼らで在り続けているということ。
いま、を表現し続けているということ。

重ねてきた時間があるから楽しめることや心に染み渡ることもあると思う。

でも、私が感じることが出来るのは、いま、だけ。
その、いま、が素晴らしいのだから、それだけでいいんだ、それだけがいいんだ。

積み重ねた時間や、思いがあることは、つい重みを増してしまいがちだけれど、積み重ねた時間や思いがあるからこそ、軽やかに楽しく喜びと共に奏でられていることに感動する。
そして、より軽やかに楽しく喜びと共に奏でていきたいとあろうとしている在り方が嬉しい。
好き!!と彼らを見つけた過去の私、グッジョブ!

彼らが直接的に私に何かをしてくれているわけではない。
だだ、在る、ということだけ。
彼らそのもので在る、ということ。

ライブの良さも、これに尽きる。
ただ、いま、だけがあって、いま、だけを味わえて、いま、の感覚を余すところなく生きている、それがライブを体験することの喜びであり、録画されたものと大きく違うところで、それはすなわち生きているということ。

本当は日々もそれと同じなのだ。
いま(だけが)ある。
いま(だけを)味わう。
いま(だけの)感じること。

私の世界にいてくれて、ありがとう。
私の世界における最高の名脇役で在り続けてくれて、ありがとう。


ー2017年6月29日、Mr.Children、Thanksgiving25、東京ドーム。

いま、ここにあるひかり

ここから始める
何度でも始める

いま、私が望む最善の未来を描く
(その道のりは考えなくてよい)
描いたら、いまを心地よく過ごす

決める

決めて
出来なかったら
改めて
望むことを意識
また決める
 
わたしの望みを
わたしの願いを
宇宙に投げたら

いまの場所から
無理せず見える
明るいところを
見るようにする

また暗いところを見てしまったら
また明るいところに視点を戻して
いま見える暗いところは過去の亡霊
次に見える明るいところはいまここ

過去に見てしまった暗いところから
いまここから見える明るいところへ

わたしは、何かを得るためではなく
いつ、どんな状況でもひかりを見る
ひかりを感じられるようになりたい

だから、いまは訓練のとき
思考を望む方に戻していく
その積み重ねを続けるとき

どんなときもあるひかり

その答えがまだ分からなくても
宇宙が起こしてくれていること
その最善の未来を信じて生きる

いま、ここにあるひかり

夕暮れ刻の空色は

夜明けと夕暮れには、近しいものを感じる。
夜明けは朝が始まり、夕暮れは夜が始まる。
夜明けは夜が終わり、夕暮れは朝が終わる。

f:id:sucre-miel:20170423203943j:image

f:id:sucre-miel:20170423203959j:image

f:id:sucre-miel:20170423204020j:image

f:id:sucre-miel:20170423204038j:image

f:id:sucre-miel:20170423204055j:image

f:id:sucre-miel:20170423204115j:image

f:id:sucre-miel:20170423204142j:image

そして、また新しい夜。

さくらには

さくらには、むちむちさんとほわほわさんがいます。


f:id:sucre-miel:20170411115003j:plain

(京都、鴨川にいらっしゃったむちむちさんたち)


自分の身体ちかくで触りながら愛でることが私なりの桜の楽しみ方。

むちむちさんもほわほわさんも、どちらもとーっても可愛い。


でも、今回の京都でダントツ大好きなエネルギーを出していたさくらは八坂神社にいらっしゃるほわほわさんでした。


f:id:sucre-miel:20170411183428j:plain

(ほわほわさん)


雨上がりに水を湛えたほわほわさんは本当に可愛ゆす!でした〜〜。


あまりに可愛ゆすすぎて、一度帰りかけたものの、再び戻って愛でまくったくらい。


今年の桜さんたちも、たくさん素敵な世界を見せてくれました。


ありがとう〜〜!


Happy School 開校!

ただ宇宙の法則を学ぶだけではなく、私の現実に反映させていきたい〜〜!と(気持ちの中で)のたうちまわっていた日々。
そんな、ある日。
宇宙の法則を分かりやすく、かつ現実世界で結果を残し体現して生きているHappyちゃんがスクールを開校する!!
という情報が!


こ、こ、これは!
とブルブル震える(キンチョーで)手で申し込みをぽっちりした1月下旬。

とうとう、開校の日がやってきた。

ここには私が授業を聞いて、七転八倒する個人的な視点の記録を残していこう、と3月6日、午後9時に、思いついて書き始めたもの。

今日の疑問:《ふと》と《思考》の違い
起きている出来事:…この欄を書こうとしたら何か解決したかも。
それは過去の《ふと》に縛られてしまったら《ふと》と《思考…もしくは算段》の違いも分からなくなってしまうんだなってこと。
《ふと》は、あくまでも《いま》やってきた《ふと》のこと。

つねに《いま》の私に焦点を当てる