身体で聴く音
晴天だったよ、日比谷野音!
雨のパレード、ライブ日和。
とても良く晴れていて、開け放たれた窓からは一滴の湿気もないほど爽やかな風が空間を通ってゆく、お手本のような初夏を思わせる今日。
ここ何日か、私の心と頭に漬け物石のようにズッシリと重みを感じさせる出来事は、まだまだ存在感がある、けれど。
それでも、爽やかな風と共に運ばれてくる軽やかな街のさざめきは、世界の豊かさを想起させた。
パタパタと仕事を済ませて、チケットを引き取り、まだまだ明るいのに、もう夕暮れを感じながら、慌てて駅に向かう。
勘で選んだんだ路線は、日比谷までに停まる駅の数が意外な距離を感じさせた。
地下鉄の駅のホームを走り抜け、階段を駆け上がると地上に漂う熱が、更に私の体温を上げる。
少し喉の渇きを起因させる暑さと共にはやる気持ちを抱えて通る日比谷公園は鮮やかな緑と夕刻の気配に満ちていた。
初めて入った日比谷野音は開かれていて風の吹く場そのものが発光しているようなところだった。
走って汗をかいた身体に心地いいコンクリートで出来た座席の冷たさにも助けられて、始まる前に世界と私に空間を与えてくれた。
好きな音楽を奏でる人たちの新しい音源を聞くときは、いつも期待の隣に一抹の緊張を伴っている。
ワクワクしながらドキドキしながら、CDの再生ボタンを押す。
シュルルンとCDが廻り始め音が空気を振るわせる、と同時に私の心と身体に響く、その音。
その音に全てを掴まれて、それが嬉しくて何度も何度も再生ボタンを押すとき。
そんなときはライブがとても待ち遠しくて楽しみに指折り数えて過ごす。
そんな風にして今日は私の元にやってくる、はずだった。
それが予想外の漬け物石を抱えることになり、頭と心が押しつぶされながら聴いた音楽は、圧迫された空間を拡げて、吹き抜けるような風を通してくれたんだ。
そして、それを私の全てと共に身体で聴く。
そんなライブだった。
ヘッドホンを通して聴く音は、頭に響き心や思想と共に漂う。
ライブで聴く音は、身体の中で共鳴して、詰まってしまった何かに隙間を与えてくれる。
そして、空間を通して響き心に刺さるフレーズに触れ、考える間も無く涙が零れ落ちる。
帰り道に見えた山並みにかかる月と、日比谷野音のステージ上にかかる月は、同じ日の月であるはずなのに、全く違って見えた。