dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

大切にする

自分を。
どうやって?
どうしたら、私は私を大切にしていると、感じれるのだろうか。

いま、身体に出ている症状が教えてくれていることは「話したいことだけ話したい」と魂が感じていること。
周りとか、導入とか、自分の話したいことの正しさに繋がる道を整えてから話そうとしている。

でも、そうではない。

誰かに、何者かに、私にとっては本当はどうでもいいと理解されなくても良いと思っている人に、正しいと認めてもらうための道路整備ばっかりしてから、話していたんだ。
特に心で感じた素直なことを話すときほど。

そりゃあ、私の心も魂も口も、何がしかのアピールもしたくなるよね。

今迄したことのない未知への違和感=ざわざわを味わい尽くして、どう思われてもいい、話したいことを話すのだと選んで決めてしまおう。

言葉だけでは伝わらない。
言葉を通して伝えることが苦手だから、尽くしてしまう。

言葉や何かに載っているもの、撮られているものは、既にその何者かによるフィルターがかかっている。
それが、もしも、空海さんが伝えたくて空海さんが書いた文献だとしても、だ。
空海さんが伝えたかったことを文献だけで受け取ることは、至難の技だ。

たとえば北海道の人と沖縄の人で《春の陽気》という言葉ひとつとっても、思い浮かべる風景や匂いは違うだろう。
冬をどんな風に越したか、でも違う。
冬に籠るのが好きな人と春が訪れるのを待ちわびていた人でも違う。

だから、本当は話を聞きたい人や行きたいところへ行きたい、話を聞きたい。
いま生きていて魂と身体が共にあるうちに、魂と身体全体で味わい尽くすことが出来るうちに、体験したいし体感したい。
ただ、私が体験し体感したいものを。
私が私に与えてあげたい。
それが私にとっての私を大切にするということだ。

いま生きている私を大切にすること。
また明日から始まる新学期の季節に。