dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

お初にお目にかかります。

初めましてのときならではの緊張感。
それは人も場所も同じ。
でも、それを経て仲良くなったり馴染んでくると出会える表情や、人となりや場所に感じる安心感がある。
そして、それは神社でも。

電車とバスを乗り継いで、ようやくたどり着いた椿大神社は、ででーんと雄大なんだけど、どしっというよりはさらさらしていた。

ゆっくりゆっくり境内を歩く。
其処彼処にいらっしゃるであろう神さま方にご挨拶しながら。
あまり説明書きがなくて、神さま方のお名前を呼べなかったのが残念だったけど。

なんとなく、ちょっとわさわさしている雰囲気が漂っていた。
その理由は、参拝した次の日から秋の例大祭が開催されるタイミングだったから。
神主さんも地元の方々も朝から準備の真っ最中で、境内ではたくさんの人たちがまめまめしく働いていた。

ゆっくりゆっくり歩いたのに、自分が予想していたよりも早く参拝が終わりそうだった。
こちらにいらっしゃる全ての神さま方にご挨拶出来てないような、あまり場所にも馴染めていないような。
拝殿ではゆっくりとお参りした。
松下幸之助さんが寄贈されたという茶屋ではお抹茶もいただいた。
こちらでお点前をいただくとお皿もいただける。

確かに準備されている方たちがたくさん行き来しているからか落ち着かない雰囲気もあった。
それでも境内をゆるゆる歩いて何度か本殿で佇んでいるうちに、ふと御神籤を引こうかな、という気持ちが湧いてきた。

昔は神社に参拝する度に御神籤を引いていたけど、いつの頃からか、ごくごくたまにしか引かなくなった。
なので、そんな気持ちになるのは自分としては珍しく、こちらにいらっしゃる神さま方からのメッセージがいただけるんだな、と思った。

そんな風にして、ゆっくりと身体を馴染ませるように滞在していたら拝殿から太鼓の音が聞こえてきて巫女さんの舞がある豪華なお祓いの場面に出会った。
それは境内をゆったり歩いて本殿近くに戻ってくる度に何度も何度も始まった。
何度も何度も呼びかけてくれるように。

すると不思議と同じ場所に佇んでいるのに、戻ってくる度に暖簾をくぐるように奥の方に進むように感じるものが変わっていった。
木漏れ日にはたくさん何かがいて、神さま方が吐く息が旗を揺らめかしている。
佇む場所が少し変わるだけで光の見え方が変わって全く違う場所の雰囲気になった。

滞在している後半は、もう身体が馴染みすぎて、この場所から離れがたくなってしまった。
あまりにずーっと佇んでいたので、境内を巡っている同じ神主さんたちと何回もすれ違った。

あのたゆたう感じ。
すべてまるっと受け入れてもらっている感じ。
ゆったりゆっくりと過ごして馴染ませていくうちに出会えるあの感じ。
それは時間や回数によって変わってくるのだなあ、と腑に落ちたのだった。