禊いじゃいな!!
「つべこべ言わず禊いでこーい!!」
家を出るときは、ぽつりぽつりくらいの雨がえっちらおっちらバスが山を登っているうちに普通に雨が降りしきる。
それでなくても雨に纏わる伝承のある神社なもので…本殿に辿り着いた時は、これでもかっ!というくらいに土砂降りの雨。
ここまでガチに禊ぎの雨を降らしてくれての歓迎っぷりで相当に禊がれた。
うっかり春コートで出かけてしまい、寒いのなんのって…!
これも不思議で、神さま方のところでぼんやりしているときは寒いことがあんまり気にならない。
が、バスに乗った途端に寒さが身に染みるぜ…!
今日の景色は完全に水墨画の世界。
たしかに過去(しかも中学生くらいの頃)雪舟とか好きだったけどね!
ちなみに晴れてる時はこちら。
ううーん、自然は凄し!
極彩色も水墨画もお手の物ですな。
なにやら私にとって今年の3月は禊デトックスな季節。
大切だと分かっていて手を付けていなかったことを始めるのに最適な時期なので、こりゃあ禊しまくろう。
もうさようならを告げるべきモノコトときちんとお別れしよう、例えそれがたった一つだとしても。
手に握り締めて、ずーっと握り締め続けていて、もう握っていることすら無意識になっていることと、さようならをしよう。
必要なモノコトならば手放しても、私が心から望めば手に届く。
心の禊用には気持ち吐き出しノートも買って書き始めてみた。
どうやって何から書いたら良いのか皆目見当が付かぬものの、とりあえず謎の独白形式で綴ってみるなりて。
私は生まれることを望み、生まれることを決め、生まれ出でてきたのだと。
だから、いま、生きている。
望み、決め、始めればいいだけ。
禊いでいくと、いつも全てが単純になる。
世界はいろいろあるけれど、それでもたぶん根幹は同じものを、どのように表現しているかの違いだけなのだろう。
私が望めば、いつでもその単純な世界に生きることが出来るのだから。
私が忘れてしまいそうになったら、また思い出せばいいんだよね、世界は単純なものなのだと。
誰かが納得する、誰かにとっての真実、なんて、ちゃんちゃらおかしい。
それじゃあ、ずーっと誰かの世界に生きることになってしまう。
私が生きる、私の世界で、私が選び望むのは、私が信じて感じている世界だ。
誰かに納得してもらうためのものを置くスペースや時間をかける余裕は別のことに使うと決めたから。
私の奥には小さいけれど静謐で清らかな湖がある。
その湖は時には靄がかかって見えなかったり、その湖があることを忘れてしまうこともある。
でも《ある》。
私は、私の奥に存在するという世界で生きて行くのだ。