dawn,light

「光といふことを」人めには/みえぬものから/かがやくは/こころの底の/光なりけり

いろんな風景

気が付けば、またまたブログを放置していたので新月に引っ掛けて再開。

新月の影響か、今朝起きたら左側の喉にザラッとした違和感と上唇の左端にポツっとしたものが出来ていた。

左側は精神的なものが表層化する説もあるので、自分の気持ちを表現することに何かのサインが出ているのかなあ。


さて相も変わらずスタバで呪文をとなえている日々。

ジンジャーシロップ - dawn,light

同じ呪文でも出現するものが違うのところがおもしろいくて好きなとこ。

例えば、オールミルクのお願いに対して、全部きっちり牛乳の場合や茶葉から味を出しやすくするために少しお湯を入れますね、の場合がある。

(これは決してお湯が悪い、といふ話ではありませんよー、あしからず)

私はその辺には細かいこだわりはないので、お湯を入れて作るサービスも入れずに作るサービスもありがたく飲んでいる。


ティーラテに使われる茶葉にほうじ茶以外はティーバッグに紐と紙のタグが付いているのだけど、その提供にも違いがあって面白い。

一番、多いのは本体とスリーブの間に挿むもの。

ベンティサイズでフタを外して飲む私の場合、飲み進めていくうちにティーバッグの重みでスリーブから外れてしまうことがあるのが、ちとしょんぼり。

その点、個人的に一番丁寧に感じたのはタグをセロハンテープで留めてくれたとき。安心してフタは外せるけど、セロハンテープが気になる人もいるかも。

そんな中、一番アイディアを感じたのは、淵にタグを挿む形。

セロハンテープほど手間がかかり過ぎず、スリーブの間に挿むよりもタグが安定していて、フタを外して飲んでも大丈夫なのが嬉しい。


こういう、ささやかだけど提供してくれる人の誰かが生み出した心遣いを受け取れた時は、なんとなく自分の意識の調子を好ましく感じる。

自分があり過ぎても無さ過ぎても気付き受け取りにくいもの。


多分、身近な日常ほどそんなことが多くて、心遣いの内容ではなく誰が何をしてくれたのか、に捕らわれやすい。

そんなことをぼんやりと感じながら私は今日もスタバで呪文を唱えています。


(2015年2月4日、写真を追記しました)

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